2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会で岡田監督率いる日本の侍たちが決勝トーナメント進出ベスト16という結果を作りました。サッカーの戦術という視点からはサッカー評論家の皆さんや多くのジャーナリストの皆さんが述べているところです。私はサッカーファンではありますが、サッカーの戦略や技術に詳しいわけではありません。私の専門分野の一つは「チームコーチング」です。そこで、「チームコーチング」という視点から、岡田ジャパンがベスト16という結果に至るまでのプロセスで重要だと思われるところをいくつか振り返ってみたいと思います。経営者やビジネスマンの方は自分の仕事にどのように適応できるかを考えてみてください。
2006年ワールドカップ、ドイツ大会でジーコ監督率いる日本チームは予選リーグを1分け2敗で敗退しました。その後、イビチャ・オシム監督が引き継ぎ、「日本のサッカーを日本化したい」と表明しました。2007年のアジアカップではあまりゴールは決まらなかったけれど攻撃的なサッカーを展開しようとしているのが分かりました。その年、オシムが病気で退任せざるを得なくなり、後任として白羽の矢が当たったのが岡田武史監督というわけです。オシム監督の「日本化」を継承して、運動量や敏捷性やボールの蹴り方と止め方の技術力などの特徴を生かしたチーム作りを進め、ワールドカップアジア予選を突破しました。2010年に入ると東アジア大会などでは中国と引き分け、韓国とセルビアには敗北するなど点数につながる攻撃力の弱さとカウンターを仕掛けられたときの守備の弱さが克服できないまま、代表メンバーでの壮行試合では韓国に完敗。岡田ジャパンに期待する声はほとんど聞かれない状況でした。そして高地に慣れるために、ワールドカップ本線直前のスイス合宿に旅立つという流れでした。この時点でも「ワールドカップでベスト4を目指す」、「世界を驚かせる」という岡田監督の言葉は大風呂敷を広げているとしか評価されていませんでした。
ところで、岡田ジャパンのチーム作りはどこから始まったのでしょうか。日本のサッカー界の歴史という時間枠では岡田ジャパンの特徴を発見するには長すぎます。オシム監督から日本代表監督を引き継いだときからの約3年間という時間枠でも語れることはあります。しかしここではもっと短い時間枠に焦点を当ててみましょう。
2010年5月10日に最終メンバー23名が発表されました。コーチング・スタッフは岡田監督を含めて5名です。その他にサポートメンバー選手4名も同行することになりました。私はこの5月10日から岡田ジャパンのチーム作りが始まったという見方をしてみたいと思います。所属メンバーが決定しないと本格的なチーム作りはできません。なぜならば、所属メンバーが変わると基本的にチーム作りは後退するというのがチームコーチングを行うときの原則の一つだからです。
アジア予選を勝ち抜き、大会への出場権を得ることはその時のメンバーにとっては、必達目標ですから脇目もふらず必死に勝ち残ることに集中したでしょう。南アフリカに行けると決まった後、日本代表チームの最終決定まで、試合のたびに招聘された選手たちの無意識レベルの最大の関心事は何だったでしょうか。それは監督から信頼され、チームの一員でいることです。できたらレギュラーになることです。つまり選手たちのエネルギーは内向きになるのです。認めてもらうために、「俺が、俺が、・・・」とエゴが強くなります。この状態ではチーム総合力は発揮できません。
そして日本代表のメンバーが最終的に決定しました。今度は誰がレギュラーになり、どのポジションにつくのかという選手個人にとっての大問題が目の前にやってきます。監督に選ばれるのは自分なのか、他の選手なのか。意識と無意識はチームとして勝つことよりも、自分の立場に向かうことになります。この時期、内部にはストレスが充満してきます。
しかも岡田監督は韓国戦に完敗した後、それまでの攻撃的なサッカーを見直さざるを得なくなりました。守備重視へと転換を図るか否かの決断を迫られていました。これはオシム監督が意図してきた遠藤保仁、中村俊輔、中村憲剛という3人のゲームメーカーを創造的に生かそうとする攻撃的なチームからの脱却でしたから、選手たちにとっては不安が大きくなったことでしょう。
そんなとき、スイス合宿である事件が起きました。5月27日の夜、中村俊輔の発案、そしてキャプテンの川口能活が呼びかけて選手たちだけのミーティングを行ったのです。そこで田中闘莉王がいきなりぶっちぎれて「俺たちは下手くそなんだ!」と怒鳴ったのです。DF中沢祐二も「泥臭くやることも必要だ。レベル的には間違いなく相手が上なわけだし、・・・理想も大事だが、勝つためにもっと必死にならないと!」と意見。選手たち同士の激論は戦術面の見直しも含めて1時間を超えたと言います。このようなプロセスがあって、人は本気になっていきますね。田中闘莉王の闘志は本当にありがたいリソースだと思います。
選手たちだけで激論したというニュースを観て、私はチーム形成で重要なステージに入ったと思いました。ストレスを吐き出し、自分たちの問題を自分たちの力で解決する場を作り出すことはチーム形成上、欠かせないプロセスなのです。問題はチーム作りが本戦に間に合うかということでした。
翌日からの練習では選手同士がピッチで話し合う場面も増えてきました。そして5月30日のイングランド戦。なんとDF田中闘莉王のゴールで、1対0で前半を終え、オウンゴール2発で、結果は1対2で負け。それでも壮行試合の韓国戦の0対2の完敗と比較すれば、ジャパンもやるなという感想でした。
そして最後の練習試合でジンバブエと対戦することになりました。お互いに怪我をしないように激しいぶつかりあいを抑えた感じのゲーム展開で引き分けました。ここで岡田監督は実験を行いました。ご承知の通り、キープ力のある本田圭佑ワントップです。フォーメーションを4−1−4−1に変更。左右のMFは守備を助けて、なおかつカウンター攻撃にシフトできる松井大輔と大久保嘉人がレギュラーに定着しました。この時点でこの4年間、チームの中心だったが不調が続く中村俊輔が外れることに・・・。誰が先発の11人として選ばれるのか。これは選手たちにとって最大の関心事なのです。そして不協和音を残すことになりがちな場面です。しかし前回のドイツ大会でチームのまとまりを作ることができなかったことを悔やんでいた中沢祐二などは絶対にチームとしての一体感を作らなければならないと腹をくくっていたのです。
控え選手で、キャプテンを務めたGK川口能活の存在は大きかったのではないでしょうか。川口は第3のGKですから、試合に出る可能性はほとんどなかったのですが、彼がリーダーシップを発揮して控え組をまとめて、先発組を援助するように仕向けていきました。ですからサポートメンバーを含めて、選手27名がチームになっていくというプロセスに入っていくことができました。またイングランド戦直前に、ドイツのホルフスブルクで活躍している若手の長谷部誠をベテラン中沢祐二に代えてゲームキャプテンに抜擢したことも奏功しました。長谷部は同じ欧州活躍組の本田と連絡を取り合っていましたから、本田をチームに溶け込ませるための潤滑油になるだろうと期待できました。同時に、若手を中心に戦うというメッセージになるという意図が岡田監督にはあったようです。しかしチームのメンバーたちの中では、ゲームキャプテンは中沢祐二でしょうという意見が強かったですし、突然指名された長谷部にとってはたいへんなプレッシャーになります。また中沢自身にとってもショックだったはずです。しかし中沢は若い長谷部を支えてチームの勝利に貢献しようと決意を新たにしたのです。こうしてメンバーたちはそれぞれのエゴを捨ててチームの勝利に意識が完全に向かうようになりました。
チームのプロセスの中でときにはゲームの中でのリーダーを交代することが必要になります。メンバーは変更に対応して、自分の役割を見直し、チームのために機能しようとします。「チームが勝つために自分には何が可能か」という意識を持ったとき、肩書に関係なくすべてのメンバーは実質的にリーダーシップを発揮し始めます。ようやく、「まずは予選リーグを勝ち残り、そしてベスト4を目指す!」という言葉がチームで共有された目標になりました。
こうして岡田監督はじめ5名のコーチング・スタッフは27名の選手が自律的な働きをするようになったのを見て、同じようにチームの勝利のために貢献する仲間として機能することになったのです。チーム総合力が高まりつつありました。岡田監督は、「サッカーはチームスポーツなのだということを証明したい」と何度も口にしていました。
カメルーン戦でゴールを決めた本田圭佑が中村憲剛と交わした約束だったからと、控え選手たちの方に走って行きました。中村憲剛もこちらに来いとジェスチャーで招いていました。そして本田はベンチ前でもみくちゃにされていましたが、観客に個人の力をアピールするのではなく、チームのメンバーたちとともに喜びあうという素晴らしい光景でした。また途中交代で退いていく長谷部が自らキャプテン腕章を中沢の左腕に巻いていた姿は中沢に対する敬意が表れていましたし、中沢にとってもコミットメントを強くした瞬間だったに違いありません。これらの場面を見ると、岡田ジャパンが32人の団子状態になっていったということが分かります。
堅守速攻のチーム戦術への本番直前での転換。岡田監督は勇気があったとも言えますし、あの段階ではそれしかなかったとも言えるかもしれません。なんにせよ結果から見て、この戦術は成功しました。チームコーチングではディシプリン(規律)を重視します。日本の代表メンバーはディシプリンの高さを示し、ゾーンディフェンスのポジション修正を的確に果たしました。出場チームの中で最も走った距離が長いという持久力も見せてくれました。日本の守備は非常に堅く、GK川島永嗣が何度も好セーブをして、ワールドカップ本大会の4試合で2失点に抑えました。
さて、チームを一気に名実ともにチームにしたのは、カメルーン戦でのゴールです。松井大輔がアシストして本田圭祐が蹴りこんだ一発。この瞬間、ゴール前から本田圭佑がベンチに駆け寄って、控え選手やコーチング・スタッフと歓喜の一体感を体験したとき、彼らはチームとしてのブレイクスルーを果たしたのです。勝つという体験がチームを、そしてメンバーを強くするのです。
決勝トーナメントに進み、パラグアイとの戦い。勝てたのでは・・・、といまさら言っても仕方ありません。PK戦でDF駒野友一が外したときに、中沢祐二などが青ざめている駒野の手を引っ張り、チームの中に引き込んだこと。敗退が決まった後で、涙を見せたことがない松井大輔が駒野の肩を抱きながら駒野以上に泣いていた光景。ほとんどの選手が「27人とコーチング・スタッフと応援して下さった皆さんに感謝を・・・」というコメントをしたこと。応援団の人々の「感動した!感謝の気持ちでいっぱい」という感動した面持ちのコメント。これらは優れたチームに成長してきたことを物語っていると思います。
なかには「こんなことで感謝をして感動しているから日本は勝てないんだ」という皮肉屋さんもいるようですし、得点に結びつく攻撃面の弱さという課題も残してはいますが、ここは客観的に観察してみましょう。優勝チーム以外はどこかで敗退します。どんなに優勝するというコミットメントが強くても、ブラジル、アルゼンチン、イングランドなど強豪国の敗退に見られるように結果は分かりません。そして勝っても負けても、チームは解散していきます。そして、この解散のプロセスで何を起こしていくのかが大事です。
中村俊輔のように帰国して早々に、代表からの引退を表明してしまう人もいます。よほど痛い体験だったのでしょう。その未完了の痛みを本戦中は心の中に封じ込めて、レギュラーへの貢献に徹してきた中村俊輔でしたが、ついに気持ちがチームから離れたのです。なかにはバラエティ番組をはしごして芸能人たちからからかわれながら人気を博している選手たちもいます。さっそく所属するクラブに戻って、練習を再開した選手たちもいます。海外からのオファーに対応する選手もいます。マスコミの取材を断って、静かに自分を見つめている選手もいます。岡田監督自身も代表監督からの引退を表明しました。すでに岡田ジャパンというチームは存在しないのです。
次に生かすためには、これまでの経験を次に生かすためにしっかりと振り返り、うまくいったこともうまくいかなかったことも完了して、学びと課題に変えて、個人としてだけではなく組織として継承していくことが大切なプロセスになります。選手たちはまた個人のプレーヤーとしての次のステップに意識が向かっていくのです。いまだにワールドカップの余韻はあったとしても、彼らの意識はまた「新しいチームで自分は認められるだろうか」というところに戻っていきます。彼らは所属するクラブでチームになっていくプロセスをリードしてくれるでしょうか。私は、それを期待しています。今回の経験を自分のチームで活かしてこそ、次のステージが見えてきます。
さあ、次の監督(コーチ)は、日本史上最強のチームを作っていくために、どのような働きをしてくれるでしょうか。
2010年7月7日